夢の跡地

ちいさな夢を叶えたら書くブログ

05 母に30万円返済する

 はじめて「うつ病」と診断されたとき、不思議な気持ちになった。よく「まさか自分がなるとは思わなかった」というセリフを聞くが、「ついにこの時が来たか」という感想が先で、「これは多分、自業自得なんだ」とも思った。

 学生時代、電車に乗れなくなったことがあった。貧血持ちだったこともあって、冬だったし、まあ疲れていたんだろう、と思った。しばしば乗れないことはあったが、大学に通えないほどではなかったし、一本や二本電車をやり過ごせばどうにかなった。満員電車が原因だとわかっていたから、各駅のスカスカの電車に乗るべく早起きもした。

 結局、しんどいと思ったときにしんどい理由をどうにかしなかった自分が悪い。仕事ができない自分が悪い。人にきらわれる自分が悪い。そう思ったら、主治医の「えぬさんはうつ病です」という宣告は、わたしにとってはただの「罪状通告」でしかなかった。そうか、罪を償う番なのか、と。茫然自失の中、わたしは仕事を辞めた。

 お金がない、という状況は、事態を悪化させる以外のなんでもなかったが、幸いわたしは実家暮らしだったために、飢え死にすることも、丸裸で路上生活を強いられることもなかった。これを甘えだと言われればぐうの音も出ないんですがね。

 そんな最中でも、母はわたしを見捨てなかった。おそらく心の中では「いい加減にしてくれ」と思っていただろうし、思っていて当然だと思うが、わたしにお金を貸してくれた。ただ、母はどこまでもわたしの母なので「必ず返すこと」をわたしに約束させた。利子も期限も設けないから返済はしろ、という母の言葉は悪化する病の真っただ中でも、ある意味で支えとなっていた。

 働こう、と思っては挫け、挫けてはまた働く決意をし、そうやって何度か転びつつ「借りた金を返す」ことだけは忘れることはなかった。ただ、返済のために無理に節約しようとか、趣味に使うお金を減らそうとは思わなかった。だから、やや時間はかかってしまったが、簡保を解約したときに返ってきたお金をそのまままるっと母に渡した。ATMで大金を下ろすのは本当に、本当に、本当に心が震えた。今襲われたらどうしよう、後ろのおばあさんが急に殴りかかってきたらどうしよう、自転車に乗っていて……とびくびくしながら帰った。お金って怖い。ちなみに、生命保険は自分で考えてべつの会社のところに入り直した。がん保障つき。ガチもガチ。

 母は「貯金大丈夫なん?」と冗談交じりに言ったが、ひとまず返済させてくれ、ということで受け取ってくれた。元々母のお金だから、もらってもらわないと困るのだけれど。

 今年の夏、母の誕生日を祝うのはわたしの番だ。妹と隔年で祝うことになったのはいつからだっただろう。今年は少し予算を増やした。おいしい鰻が食べたい、というわたしと母の願いもついでに叶えようという作戦だ。こんなときだが、こんなときだから、と言っていたらいつ叶えられるかわからない。目標は達成するために設けるもので、達成できる目標から手をつければいい。だからわたしは、今年100個も目標を作った。

 そのうちのひとつを今日叶えた。次はなにを叶えようか。途方もないと思っていたことも、案外どうにでもなるもんだな。本当に、恵まれた人生ですよね。