中学生の頃、ピアノのレッスンのために夙川に通っていたことがある。先生の家は阪急夙川駅から歩いて五分ほどのところ。駅前にあるダイエーの中を通って行くのだけれど、いつも自動ドアの向こう――つまり、ダイエーの外に見える「成田屋」の看板が気になってしょうがなかった。
いつだったか、迎えに来てくれた母に「あのお店が気になる」と言って寄ってもらった。和菓子屋と書かれたいたから、つい、みたらし団子や草餅が並んでいるのだと思ったが、入ってみると、あるのは最中である。「もなかだ…」と当たり前のことを思いながら、なにも買わずに出ることもできず、わたしは見た目が梅の花の形をしていた「小袖梅もなか」を買ってもらった。
もなかと言えば、最近で言うとM-1王者のミルクボーイのネタだろうか。子どもには人気がない、お供えもののイメージ。例に漏れず当時のわたしも、目の前のころんとしたかわいいもなかに「でも、もなかやもんなぁ」と失礼なことを思った。
ただ、一口食べると、今まで食べた(おそらくお供えのおさがりであろう)最中とはまるで違い、つややかな餡はさっぱりとした甘さで、皮も軽やかだった。気づけばもう一口と食べ進み、あっという間になくなってしまった。もうひとつ食べたい、と思った最中は生まれてはじめてだった。
夙川に通わなくなってから十数年。昨年の転職を機に再び夙川に通うこととなったわたしは、成田屋に足を運んだ。こじんまりとした店内は相変わらずで安心する。小袖梅もなかと三升もなかの柚子餡(これがまた上品でおいしい)を買って、PayPayで二次元コードを読み込んでいると、店先にいた中年の女性に声を掛けられた。おそらく、店主の奥様だろう。
「どら焼きはお好き?」
ハッとして慌てて、はい、と頷くと、彼女はカウンターの上にあったどら焼きをひとつ取って紙袋に入れ、封をして渡してくれた。
「もうすぐ閉店だから。余っても、ね」
と、彼女が壁にかかった時計を見上げる。つられて見上げると、時刻は午後五時五十分。閉店時間は六時ということだろう。じわじわと込み上げるものを感じながら、わたしは彼女にお礼を告げ、店を出た。
明治から続く老舗の和菓子屋。「成田屋のもなか」は、今ではすっかり、わたしの「ご褒美もなか」だ。
成田屋
西宮市羽衣町8-8(阪急夙川駅南)
TEL.0798-22-3189
営業時間 9:00〜18:00
定休日 月曜日